このまま月まで走っちゃおうよ

 気づいたらもう外はだいぶ暗くなっていた。冬になると太陽が沈むのは異様にはやくなる、と感じる。兄からそれは太陽と地球の距離感のせい、と聞いていたけれど馬鹿なわたしはその話がよく分からなかったのだった。
 もう帰らなきゃ、と言うと目の前にいる彼女はついっと唇をとがらせて「もう帰るん?」と言う。彼女がたとえばここで泣きだしたら、周りに控えている男の人たちがすぐに飛び出てくるだろう。そしてわたしの生命はどうなってしまうのだろうか。ここの人達が映画や漫画みたいな「人殺し」をするとは思えないけれど、それでも、けじめとか、そういうものは、あるかもしれないから。
「そりゃあ、もうこんな時間だし」
「泊まっても平気じゃん……」
「そうだろうね……」
 吉乃のお家めちゃくちゃ大きいもんね、と言いそうになって、別の言葉が口から紡がれる。わたしの生命は彼女の声にかかっている。彼女の機嫌が悪くなればわたしの居場所は失われる。
「でも、お兄ちゃんが……」
「なんで?」
「……」
「……-名前2-ちゃんのお兄ちゃん、もう-名前2-ちゃんのこと怒れないでしょ? みんなにお願いしたし。ね? 泊まっても平気やん?」
 前なら、この時間に帰っていなければわたしは兄に殴られていたしご飯を食べさせてももらえなかっただろうし、怪我を放置したまま学校へ行かなければならなかったかもしれない。でも、吉乃と一緒にいてもその恐怖は変わらないことをきっと彼女は理解していない。わたしが怖がる対象が兄から吉野に変わっただけで、わたしはむしろ吉乃と一緒にいることでより一層自分の命が脅かされていることを彼女は知らない。
 わたしのためにわたしの兄をぶっ壊した彼女がいつわたしをぶっ壊そうとするのか、わたしには全く分からないからだ。

 染井吉乃という少女は転校してきたわたしを言いくるめてぐるぐると自分の周りの人間でかこってわたしを「親友」にまで持ち上げたものすごい少女だった。
 わたしが気づいた時には、二人組になってくださいの合図で手を繋ぐ相手は彼女になっていた。彼女いわく「絶対友達になりたかったの!」らしいが、彼女のおかげでわたしは小学二年生にして「人間は簡単に死ぬ」という真理を実感したのだった。彼女の生きる世界は暴力が間近にあり、ひどい兄がいるという噂を聞き付けた彼女は「そんなお兄ちゃんいらないじゃん!」と言ったのだ。まるでゴミをため続けるのはよくない、と言うかのように。人間の命をさっさと捨てろと言うのだった。
 わたしは彼女と距離を置きたかった。そしてそれがひっそりと伝わると同時に、兄への攻撃は始まった。
 彼女の周りの人間は彼女にやさしかった。伝わりにくい優しさだったが、それでも彼女のことを守っていたことに違いはない。
 わたしのことを虐めて自分のメンタルを保っていた兄が頭をおかしくしたのは染井吉乃のせいだった。
 彼女はまともな女の子だった。
 殴られることが当たり前で、やってもないことを自分のせいにされて、まともじゃないとか、馬鹿すぎてかわいそうと言われ続けたわたしのことを、まともな彼女はほおっておかなかった。さらに言えば彼女は自分の懐にいれるべく人間を囲おうとするところがあった。正義感と、ヤクザの動きとがぐちゃぐちゃにまざっていたのか……。
 わたしは兄の暴力から救い出されたと思ったら、今度は彼女の機嫌を伺う立場となった。
 わたしは親友なんてこれまで得たことはなかったけれど、親友というものはこれであっているのか、それさえもよく分からなかった。

 正直に言おう。わたしはまともな女が嫌いだった。まともな女は生きているだけでなぜか社会に馴染んでいて、性格はそこまで悪くもなくて、健康的に運動もできるし、学校にもちゃんと行くし、家族に「生んでしまったことが申し訳ない」と言われることもない。
 染井吉乃はわたしの嫌いな女だったが、彼女がわたしのことを哀れむこともなくまともに「親友」とわたしのことを呼ぶことがさらに嫌いだった。


 吉乃が行く高校は東京だと聞いて、わたしはずっと決めていたことを実行した。
 電話をかけると吉野はすぐに出た。彼女はわたしの電話を放置することはほぼなかった。
「ねえ、吉乃。わたし、人を殺したの」
 彼女がわたしの言葉を聞いてこんなに黙っているのは初めてのことだった。彼女の返事が、わたしはとても楽しみだった。


 電話を聞き付けたあとの彼女の行動ははやかった。すぐさまわたしの元へやってきて、死体をチェックした。人気のない墓地横の茂みスペースは、簡単に女を犯せると犯人たちも考えているスポットだったのかもしれない。
 死体は成人済み男性。中年。仕事帰りのスーツのまま。
「レイプされそうになったから、殺したの」
「……ほうか。-名前2-に被害は?」
「ないよー」
「ここんとこ不審者おるゆうてたしな……。そいつなんかな」
 そうかもね、と適当に答えるわたしに吉乃は「ひとまず処理する場所連れていこ」という。
「あ、目印になるもの置いとかな」
「え、なに、強盗犯でも呼んだの? 財布盗むときに殺しちゃった説とか?」
「まさか……。ふつうに業者呼んだだけや。翔真が相手するゆうから」
 彼女の横に突然あらわれたカゾクという鳥葦くんのことは何となくしか知らない。吉乃に頼まれたらそんなこともするのか、と笑ってしまいそうになった。
 吉乃と二人でなんとかキャリーケースに男の体を詰め込むと軽トラへと運んだ。犯罪者が逆に殺されるという状況はわたしが作り出したものだ。いつか、この男は殺してやろうと思っていた。それが、今日になっただけ。
 わたしは自首した方がいいと言われたらそうするつもりだった。それに自首したあと刑務所に行ったら吉乃とそれなりに別れられると思ったのだ。まあ、自分の未来が崩れることは承知のうえだったが……。
 吉乃が乗ってきた軽トラの助手席で街中の明るい光景を見つめていた。死体と女二人の旅。何かの映画では死体は乗ってはいなかったが、夫を殺したあといろんな犯罪をおかす女二人がドライブしていたはず。あの二人が乗っていた車とは全然違うけれど。
「-名前2-」
「ん?」
「あんたが地獄落ちようとすんなら、一緒に落ちたるからな」
「……どうしたの急に」
「翔真とかと違って衝動的に人殺しとかするタイプちゃうやん。だから、-名前2-がどうしてこないなことしたかは聞かんけど。でも、背負うもんは一緒に最後まで背負ったる」
「………わたしが男だったらほんとに吉乃に求婚してたかもしれない」
「女とか男とか関係なく-名前2-のことは好きになってたと思うけどな」
 はははと笑って流したわたしを見て吉乃は「本気やぞ」と言う。知っている。彼女がどれほどまでにわたしのことを持ち上げるのか気になっていたのだ。
「それで、あの死体はどうするの?」
「うちのじいちゃんが」
「えっっ」
「懇意にしてるおっさんの庭で丁度いい穴が空いとって」
「う、埋めるの?」
「まさか。ちょこっと仕掛けておくんや」
「でも、いつかはわたしが犯人ってバレるんだろうなあ」
「それも大丈夫や」
「え?」
「言ったやろ、地獄に一緒に行ったるって」
 吉乃はばっと手袋も何もつけていない手のひらを見せた。片手ハンドルは危ないよ! というわたしに吉乃は「いまサードやからいける!」と返した。
「指紋。わざと、つけてある」
「え」
「最後まで、ゆうたやん」
「吉乃、最悪の餞になって怒ってないの……」
「テルマ&ルイーズみたいで面白い体験やん」
 じゃあブラッド・ピットは鳥葦くんってことぉ? わたしの言葉に吉乃はぶはっと吹き出して「ブラピはもっとかっこいいやろ!」と叫んでいた。

 わたしたちの車は空を飛ばなかった。うしろにあった死体はわたしが思っているよりも簡単に消されてしまった。吉乃はわたしのことを見つめ「告白するなら今のうちやで」と冗談のように言ってくる。
 わたしは告白もしなかった。ただようやく彼女のことを気にして怯え続けていた自分と別れることができたようで本当に嬉しかった。


Powered by てがろぐ Ver 4.1.1. No.24