塩気の足りない秘密基地

 グサリと鉛筆を頬につきさしてみる。そのままエイ、とえぐってみるが歯痛は全くよくならなかった。
 虫歯の痛みというものはどうしてこうもよくならないのか。気を紛らわせるようにしてわたしは外を眺めていた。そうして頭の中に聞こえてくる音から逃れるようにぐっと首をちぢこませた。
――クビをくくれ。悪魔を亡ぼせ。退治せよ。すゝめ。まけるな。戦え。
 かの小説と同じ文言のセリフが頭の中をグルグルとまわっている。ああ安吾先生。お願いします、歯痛で死ぬのは勇者だけです。わたしは舞台の上で死にたい。
 そこまで考えて、舞台で死んだのはアクタガワなのかダザイなのか分からないなぁと思い至ってようやく自分のこの歯痛は虫歯の痛みなどではなく友人の弟の友人とかいう赤の他人にぶん殴られたからだ、と思い至った。
 あんまりなことにわたしの頭はあの嫌な記憶を封じ込めようとして歯痛を虫歯のものだと勘違いさせようとしていた。
 携帯をチェックしようとして、ここが病院だと思い至り使用可能な場所へと歩こうとして自分の足の状態の悪さを鑑みる。大きな大きなギプスに未だに慣れなかった。

――

 わが友人の赤音は友人の弟の友人に告白されたとかでひどく嬉しそうにしていたのに、日が過ぎるにつれて段々とわたしの方を見ては#名前2#は彼氏なんか作らないよね? と確認するようになった。
 わたしは恋愛だとかいうものに興味はなかったし、人間と付き合うことそれ自体に忌避感をもっていた。わたしという人間が社会不適合をもっていたからかもしれないし、あとから知ったことだが自分のセクシャリティとロマンティック性がヘテロスペクトラムとは言い難いものだったからかもしれない。
 いろんな理由はあれど、わたしは赤音の質問に毎回「大丈夫、赤音のことがいちばんだと思う」と答えていたのだった。
 そしてある日、事件がおこった。
 わたしが道端でよろけたときに身体能力の悪さが災いしてひどい捻挫をして道路に飛び出てしまい急ブレーキの車にぶつかるという交通事故である。幸いなことにわたしは靭帯断裂直前というところでの捻挫と、擦過傷と車との接触による打撲のみで済んだのだが念の為にと入院する羽目になった。わたしは自分が情けないやら申し訳ないやらで沈んだ気持ちになっていたのだが、わたし以上に落ち込んでいたのは赤音だった。
 弟の友人だとかいう「カレシ」とデートをしていたはずの彼女はカレシを放り出してわたしの元へ駆けつけたのだった。
 そして泣きながら言ったのだ。
 ――デートなんて行かなければ#名前2#がこんなことにならなかったかもしれないのに。
 あくまでもそれは結果論であり、どうしようもない話だとわたしは彼女を慰めていたのだが「カレシ」には到底許せる話ではなかったらしい。
 病室の外で大人しく待っていたはずの彼は中に入るや否やわたしに一直線に殴ってきたのだった。それはもう派手な音をたてた。その音の割に痛みがなかったかと言えばそんなことはなく、わたしは「いってぇぇえーーー!」と叫びそのまま自分より年下の子どもの頭を思いっきりギプスのついた足で蹴り飛ばしてまた事故をおこしたのだった。
 カレシ、九井という少年はわたしへの謝罪をしない代わりに自分もこの傷は何も言わないと約束した。赤音は怒って泣いて今にも九井を地獄へ突き落とそうとしていたがわたしは彼女がそこまでわたしを優先する気持ちの方が分からなかった。

「赤音はどうしてわたしにそこまで……」
「……-名前2-が、わたしをひとりにするから」
「そんなことしないよ……」
「ううん、する。わたしが頑張っても追いつけない遠い遠い場所にひとりで行っちゃう。泣いて縋ってもみんながわたしを止めちゃった。だから、無理やりにでも-名前2-を追いかけたくて……」
「? どうしたの」
「ううん。今回はひをつけなくてよかったなと思って」


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