愛してるっていう呪い

#呪術廻戦 #七海建人 #失恋
 中絶にかかるお金は意外と高かった。七海はそう思いながら付き添い人として名前を名乗った。看護師は「分かりました」と軽く頷いたあと、-名前1-の名前を呼び検査室へと入っていった。

 七海の幼馴染である-名前1-という女は、現在妊娠中である。誰の子どもを腹に宿しているのか、七海も彼女も知らない。彼女いわく、ナンパしてきた男たちの誰かだろうということだった。
 彼女は今日、中絶をしにきた。看護師たちの噂する声は自分の耳にも入ってくる。またあの人らしいよ、という言葉から彼女がこうやって中絶に来るのは初めてではないのだろうと思った。
 付き添い人に限らず、本人以外はみなこの待合室か駐車場で待つことになっている。七海は支払いもあるのでここに座ることにした。
 車などは持っていないので自転車でここまで来たが、中絶後はそんなのに人を乗せられるわせではないので押して帰ることは決まっている。
 腹を膨らませた女性たち、何か不安そうな顔をしている学生とその親、多くの女の人に囲まれながら七海は真っ直ぐに座席に座っていた。膝の上にはATMから持ってきた封筒がある。その中身はお年玉などにも使えるようなピン札が17枚入っている。それは七海が初めて任務で稼いだ金だった。
 先輩の五条という面倒な男に連れていかれて死ぬほど大変な思いをしたが、それでも七海は稼いできた。五条はげたげたと下品に笑いながら「お前の願いはそれで叶えられるよ」と言った。七海がずっと悩んでいることを彼はどこからか聞きつけて、わざわざ自分の任務に七海を絡ませてきたのだった。五条からすればこの金は雀の涙ほどのものであるが、七海には「クソ面倒なやり方でなんて事してくれてんだ腹立つな……」の気持ちだったが稼いだ金は穢れていないので使うことにした。即ち、-名前1-の中絶代金として代わりに支払いに来たのだった。

 -名前1-という女は性に奔放な人だった。男も女も彼女とセックスしていたし、中学時代には帰り道で彼女が公園でセックスしているのを見かけたこともある。ぎょっとして思わず通報しかけたのでよく覚えている。獣のように腰を振るう男と汚い喘ぎ声を出す彼女に対して自分はよくもまあ嫌いにならずにいると思う。あれは人間の性という本性だった。-名前1-は自分に気づいていたかどうか、それはよく分からない。気づかない方がよかったと思うし、向こうにだけ気づかれていたらそれはそれで嫌だったとも思う。複雑な心境のまま七海は恋を燻らせていた。
 そうした初恋がなぜか今もつづいている。初恋を葬るという言葉があるが、残念ながら呪いに塗れた初恋は永遠に胸の中に居残ってしまうようだ。あの時、-名前1-へ感じた憎しみと恋情とがぐるぐると残ったまま今もある。今日はそれを殺すいい機会だと思った。

 -名前1-は麻酔が切れるまで時間がかかったようで、随分と待たされた。そしてもう夕日が出てきそうな時間になってよろよろと出てきた。七海は封筒から福沢諭吉の描かれた紙幣を取り出した。看護師は慣れた手つきで紙幣の数を確認し、お釣りを出した。
 ぐったりとした-名前1-を引きずるようにして一緒に歩いた。-名前1-は「お金ありがとぅねぇ」ともごもご呟いた。彼女の舌っ足らずなしゃべり方は昔と変わらない。
 中絶は何度目ですか、とか。今はどうしてるんですか、とか。色んな聞きたいことはあったけれど口から出てきたのは「痛かったでしょう」という労りのための言葉だった。初恋を葬るなんて嘘だ。自分はこんなことをしてまでも彼女のために何かしてやりたいと思っている。自分を好きにならない、自分を選ばないこの女のことを。

 -名前1-へ抱いた初恋は、小学生のあの時代みな持っていたように思う。小さくて可愛くて舌っ足らずなしゃべり方は保護欲をさそい、頭も良くて綺麗な服装をしていて運動神経もよかったのでリレー選手に選ばれることも数多くあった。彼女が小学5年生にして中学生の男子とキスをしていたという噂にクラス中がどよめいていたことも覚えている。
 -名前1-にビッチという不名誉なあだ名がついたのは6年生になった時のことである。そして彼女が初めてレイプされたのもその時だった。同性からのレイプだと主張した彼女は信用されず、むしろ誰とでもセックスさせてくれる女だと見られるようになってしまった。
 彼女はその噂に自分の体を合わせていった。どんどんと人と付き合い、セックスをして妊娠をして中絶をしていた。今回のことはその繰り返しの中の1回でしかない。七海が支払ったところで彼女は自分の体を大切にしようとしない。

「痛かったよォ。でも、死んだあの子たちはもっと痛かったろうね……」
 時間を置いて返事がきたので一瞬何かと思った。-名前1-はひょっこりと七海の顔を見ていた。そこにはまだ幼くて小さくて噂に振り回されていなかった頃の-名前1-がいた。
「今日はごめんね、付き合わせて」
 ぎゅう、と心臓が締め付けられる音がする。この恋に落ちてはいけない。この女を好きになってはいけない。そうした所で不幸になるのは自分だとわかっている。なのに、跳ねる心臓と顔に集まる熱は素直なままで、-名前1-はにっこりと笑った。
「でも、これだけにしてね。ケンちゃんは綺麗なままでいてほしい」
 自分はもう綺麗なんかじゃない。人間の負の感情と戦っているからって誰もがみな正義だとか綺麗な人間だとかそんなことはない。七海には自分の目から何かあふれてくるのが分かった。また恋に落ちたと思った。


女と付き合うと思ってた。ふつうに。


#弱虫ペダル #荒北靖友 #女主 #失恋

この作品にはゲイ(クィア)を傷つける表現が含まれます。
また、既存キャラの非公式カップリング要素(荒坂)を含みます。畳む


 大好きな先輩を追いかけた大学で、先輩がわたしのひとつ下の男の子の後輩と付き合い始めたと聞いてわたしは「そんなのありえなくない?」と思わず言ってしまったのだった。
 マック、目の前にいる男に叫ぶ女。まるでどこかのカップルの喧嘩だが、今回はそうではない。高校時代の友達のような腐れ縁のような男に呼び出されて行ってみたら爆弾発言を聞かされた図である。
 まあ、予想していたほどの薔薇色の素敵なキャンパスライフではなかったが楽しく過ごしていた。それが、先程聞いた話のせいでわたしの人生はお先真っ暗である。
 ――いやいや、ありえなくない? 男と? 先輩男だよね? 先輩ホモだったってこと? わたしが告白したときには部活が忙しいつってたくせに、本当は男漁りしてたってこと?
 わたしは混乱でいつもなら言わないようなことも言っていた。それが本心ではなかったはずだ。ただ、わたしにそれを教えてくれた元クラスメートはドン引きした表情で「あの人の走りを見てそんなこと言うやつと付き合わなくてよかったと思うぜホント……」ととてつもなく失礼なことを言った。
「いや、だって」
「だってもなにも無いだろ……。荒北さんが好きになったのは男の後輩だったってだけじゃねぇか」
「そこだよ!! 男の後輩ってなに!? 女の後輩だって先輩のこと好きだったが!!?」
 先輩の彼女……恋人が綺麗な人ならよかった。そしたら諦めもついただろう。なのに。男。なんで? 女じゃダメなの? 女の方が絶対いいよ。子どもも作れるし、わたしは浮気しないし、胸も大きいし、料理も作れるし、先輩のこと追いかけてこの大学を選んだんですけど。それはアピールになりませんか。
「ホモなんて、生きていくのが辛いじゃん」
 ぽつりと出てきた言葉はわたしの必死の誤魔化しだった。男に負けるなんていう現実に立ち向かえなかったのだ。黒田はわたしの本音を鼻で笑った。
「じゃあ男女なら必ず幸せになれんのかよ」
 分かんない。わかんないけど、でも、その男の後輩より絶対幸せにしてあげる自信があったのだ。荒北さんにいつか振り向いてもらえると本気で、願っていたのだ。
 黒田はわたしの分のトレーまで片付けたあと「荒北さんにホモとか言うなよ。そーゆーの、サベツ発言だぞ」と軽く言い残して先に行ってしまった。
 差別発言。ほんとに? わたしはおかしいのか? 好きな人が同性愛者のホモだったってショックを受けることが?
 家に帰ったあとわたしは大声で泣いた。隣の人から翌朝心配されるレベルだった。荒北さんの馬鹿野郎、と叫んで怒って泣いて寝た。食べ物も食べられなくなって、雑なメイクをして前髪をつくることもできないまま授業に出た。失恋しようがなにをしようが授業はすすむ。評価でAをもらうためならわたしは頑張れる。
 教授の説明を聞きながら、わたしはスマホで「好きな人 ホモ」と検索した。Googleは「好きな人 ゲイ」とキーワードを変えて検索結果を表示した。こんなアプリにさえもわたしは自分の差別意識を指摘されているようで腹が立った。
 一番上にはなんかスピリチュアル系の記事が出てきた。そしてすぐ下には知恵袋が。好きな人がホモでした、というそれは自分と似たような状況かと思ったらよっぽど努力していない女の嘆きが書かれていた。
 わたしは荒北さんのために努力をしてきたという自信があった。それもまあ、意味が無くなったけれど。
 荒北さんの好みの女になれるように、いい女にみてもらえるように、結婚したあとも楽だと思ってもらえるように、子どもの相手なんて苦手なのにできるフリもしてきた。大学も第一志望をやめてここにしたのだ。自転車なんて全然乗れなかったのに、一生懸命マネージャーをやって、ルールを覚えた。ロードバイクの整備の仕方だって油まみれになってもちゃんと覚えたしパンクの修理の仕方だってそうだ。
 知恵袋でベストアンサーとして選ばれていたのは長文の回答だった。ホモと呼ぶのはやめてください、という言葉にわたしは読むのをやめようかと思ったが、「あなたがその人のために努力していたのは伝わります。」と書かれていて続きが気になった。この程度で努力していたなんて気軽に言えるこれがベストアンサーになるのが不思議だった。
 ベストアンサーは、長く長く言葉を語っていた。
 世の中には恋愛感情を持つ人も持たない人もいて、異性を好きになる人も同性を好きになる人もいて。ホモだとか、性的対象として見られていないかを心配されるだとか、怖いことを言われないように必死に隠している人もいるのだ、と。
「あなたのことを信頼しているから相手はあなたに教えているのではないですか。」
 ベストアンサーは途中にそんなことを書いていた。黒田のことが頭をよぎる。あいつは、荒北さんに信頼されているのか。同じ自転車競技部に入っているのにわたしは教えてもらっていない。
 ベストアンサーを最後まで読むことなくわたしはスマホを閉じた。大教室で教授はどこか遠くを見ながら話をしている。わたしは有象無象の中のひとり。わたしと荒北さんの距離感はきっとこの大教室の中の関係性なのだ。

 その日の部活でわたしは荒北さんに告白をした。これで最後にする、と言って。
 荒北さんは今回は「大事にしたいヤツがいる」と言った。男の後輩が恋人であるとは言ってもらえなかった。わたしはその程度の人間だったのだ。辛くて悔しくて涙が出そうになったが必死にこらえた。
 今この悔しさを口にしたら、わたしは最低な女になると思った。自分の差別意識がひどく大きく根強いのはもうよく分かった。だったら、それを口に出さないようにすることから始めるしかなかった。そうでもしないと、荒北さんに失望されてしまう。それだけは嫌だった。
「……その人とは付き合ってるんですか」
「まあネ」
「……。おめでとうございます」
 わたしは自分を騙しきった。おめでとうございますと言ってやった。腹の中の恋心がネジ切れそうになって吐きそうだったけど頑張った。荒北さんは驚いた顔をしたあと、ちょっと嬉しそうにありがとうネ、と笑った。


Powered by てがろぐ Ver 4.1.1. タグ「失恋」を含む投稿[2件]